毒姫君(どくひめくん)8

 

 火曜日の朝、獄寺は何食わぬ顔で、常と変らず敬愛する10代目を家の前で待ち構え、一緒に登校
した。
 一日中、何度となく山本の「ちゃんと、キスしよーー」発言に関するコメントを求められたが、眉間に皺
を刻み睨みをきかせて黙殺した。

 同様にコメントを求められている山本が、また変なことを言い出さないか気になって、獄寺は休み時
間の度に振り返って山本の様子を伺った。
 山本はそれに気づくと、獄寺に対して何か言いたいことがあるらしく、手で必死にサインを送ってく
る。
 よくよく見ていると、マジシャンが口からカードを出して見せるモノマネだったり、獄寺自身がボムを
扱う時の手指の捌き方をトレースしていたりして、意味がない。

(あのバカ。)
 獄寺にあたたかいものがかよってくる。

(そんなにオレを笑わせたいのか。)
 その日、獄寺はまだ一度も、山本に話しかけたりも笑いかけたりもしていない。
 クラスメート達の前で2人仲良くしていれば騒ぎが鎮静しないだろうというのもあるし、昨日獄寺はツ
ナの前で山本への想いを告白してしまったので、単純に気恥ずかしというのもある。
 
 午前中最後の休み時間、獄寺は山本を振り返った。
(ちょっと楽しみだ。今度は何だろう。)

 しかし、今回の山本のサインは、筆記体で何かを書いているのか、微妙でわからない。
 ただ、よく見ていろと言いたいのだということだけは伝わってくるので、獄寺は頷いて見せた。

 すると、山本は空中にのばした人差指で、透明で巨大なケーキの存在を前提として、ホイップクリー
ムを絡めとる要領で丸みのあるハートを描いた。
 そして描いたハートを握り込み、獄寺に向かって投げた。

 ぽーん。

 触れることはできないのに。
 獄寺の胸は確かに何かをキャッチした。

(わあっ。)

 しかし、とにもかくにも恥ずかしく、獄寺は前を向いてしまった。

「ナイス・ピッチング、山本。」
 ツナの弾んだ声に、獄寺の背がびくんと揺れた。



 昼休み。ツナは獄寺に声をかけた。
「今日はオレ、京子ちゃん達とお昼にするよ。」
 それから声をひそめて言った。

「昨夜お願いした件、今週中にカタつけたいから、明日の夜に決めたよ。
だから、今日明日中に山本にしてもらってね。」
 そして、バイバイと小さく手先を振って行ってしまう。

「はい。10代目。」

 明日の夜、獄寺はどこの誰だか知らない人間と、舌を絡めあわせ唾液を交換してこなければならな
い。
 画面はどうにもいかがわしいが、全身猛毒という特殊能力を買って下さっている10代目直々に命じ
てくださった、栄誉ある任務だ。
 10代目はこれまでも獄寺の体質をご存知だったが、暗殺仕事でファーストキスはあまりに気の毒だ
とのお考えから、キスする間柄の相手ができるまで、待っていて下さったというのだ。
 昨夜、その任務の前にきっちりファーストキスを済ませておくように厳命され、2日の猶予を頂いた。
 なんてお優しいことだろう。

 獄寺は腹を決めた。
 なんとしても、今日明日のうちに山本とキスをしてしまおう。
 そして後顧の憂いをなくし、どこかの組織のエロオヤジを殺すため、ディープキスをしにいくのだ。


「獄寺ー、パン買ってきた。」
 山本は購買で人気の調理パンを抱えて走ってくる。
 獄寺は自動販売機でホットのウーロン茶を買ってきて抱えて、昨日別れた螺旋の非常階段に座って
いた。
 待ちあわせたわけではない。約束したわけではない。
 ただ、そこに居たら山本が見つけてくれるだろうと感じていたのだ。

「ソーメンパンあるか?」
「ほら。」
 山本が獄寺にソーメンパンを渡す。
 今日はじめての会話だった。

 保健室から距離をおくため、ある程度階段を上ってから、2人並んで座った。
 
「ソーメンパン、1個しか買えなかった。最後の一口でいいから、くんない?獄寺。」
 コロッケパンをかじりながら、山本が言った。

「やらない。」
 獄寺はしらっと答える。食いかけに唾液がついていたら危ない。とはいえ、ソーメンパンは手でちぎっ
て分け与えるのは、非常に難しい食べ物だった。

「けち。」
 山本はさほどがっかりしていない。言ってみただけの様子。

「あのさ、山本。今度バッティングセンター連れてってくんね。」
 獄寺は憂鬱な明日の夜以降にお楽しみを設定しておこうと考えた。
 以前、山本が著名な野球選手のピッチングフォームを次々にトレースしていたのは面白かった。バッ
ティングでもやれるだろう。

「ん。」
 山本はコロッケのかけらを飲み込んだ。口の中がカラカラだろうと、獄寺はキャップをはずしてウーロ
ン茶のボトルを手渡す。

「今日、行こうか。」
 ひと口飲んで山本が言った。

「部活は?」
「今日こそキスするって言って、休ませてもらう。」
 山本はコロッケパンを食べ終わる。

「・・・テメエには羞恥心というものはねえのかっ」
 獄寺は荒い口調とは裏腹に、へにょへにょと階段の柵に肩を預けた。

「あるけど。獄寺とキスするのは恥ずかしくないのな。」
 山本は手指についたソースを舐め舐め言った。

「・・・オレは恥ずいから。」
 獄寺はウーロン茶を飲む山本の喉の動きを、見るともなしに見ながら言った。
 
「いいよ、獄寺はそのままで。ずっといつまでも、恥ずかしがってていいから。」
 山本は2個目、焼きそばパンのラップをはぎながら言う。

「・・・。」
 そう言われてしまっては、恥ずかしいと感じることに罪悪感を覚え始める獄寺。
 そうめんパンを握る手に力が入ってしまい、そうめんが飛び出て階段にこぼれ落ちる。
 ああもったいない。
 獄寺が下を見ていたら、山本の手が獄寺の肩に触れた。
 トントン。指先で叩くのは、こっちを向いてのサインだろう。
 獄寺は山本に向き直る。

「恥ずかしがってたって、するし。」

(あ。山本、青海苔つけてる。)

 山本は脳内スクリーンに、土曜日に2人で観た映画のキスシーンを再生してみた。
 そう。あんな感じで熱烈に。でもまだそんな深いのでなくても。STOP。再生終了。

(唇に。)

 山本は鼻がぶつからないように顔を少し傾け、直近で目を閉じる。
 獄寺も目を閉じた。


 触れることでしかないのに。
 何故にこんなにもあたたかい何かがかよいあうのか。


(ソース味。)



 



2009/03/30

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