毒姫君(どくひめくん) 4

 

「山本の馬鹿野郎。」
 屋上の獄寺は、しばし呆然としてしまったが、目を閉じて頭を振り、頬をぱちぱち叩いてから、誰とも
顔をあわさないよう、家に逃げ帰ることを決めた。

 先ほどの山本の発言は、校内放送同様、校内に残っていた者全ての耳に届いているだろう。
 知人と顔をあわせてしまったら、気まずいどころの話ではない。きっと山本と何時からそういう関係な
のかと問われるだろう。
 しかし、たとえ「つきあいはじめたばかりで、まだデコチューしかできない微笑ましいカップル」に見え
たとしても、山本を殺そうという試みがことごとく失敗したことによる結果なのだと、本当のことを言うわ
けにもいかない。

 誰とも顔をあわさないためには。獄寺は逃走ルートを考える。
 まず、階段は3つあるうちで最も使用頻度の低い非常階段を使おう。
 一階まで降りてから、下駄箱から靴を取るため、いつも開けっ放しの北側廊下の非常口を使って一
旦校舎内に入る。
 靴を取ったらもう一度非常口から外に出て、正門には向かわずに、北側のブロック塀を越えて敷地
の外へ出てしまうのが、恐らくもっとも人目につかない。

 カン・カン・カン。獄寺は螺旋状の非常階段を3段抜かしで飛び降りた。
 片足が地面につくところで、階段の脇から出てきた長い腕が、ひょいと獄寺の肩にかかった。

「やった。獄寺、捕まえた。」
 次の瞬間、山本が嬉しそうな顔をして、獄寺の体を抱きとめていた。

「げっ。」
 獄寺は山本に逃走ルートを読まれたことに驚愕する。
「ええ?」
 山本は獄寺の肩から手を外し、向かいあわせの獄寺の手を掴む。

「ごめん。獄寺、恥ずかしかった?」
 山本がぶうんっと腰から頭を下げると、子どもの遊戯のように繋がれた二人の手が揺れる。

「は、は、はずかしいどころじゃねえ。」
 獄寺は山本の後頭部を見るのにも羞恥を感じて、目を反らした。
 怒りよりも恥ずかしさが何倍も強い。
 なんで山本は、恥ずかしげもなくオレとつきあってるみたいなことを、公言できるんだ。

「ごめん。恥ずかしいことすんなって、先輩たちに砂かけられた。」
 山本から砂埃の匂いがしているのに気づいて、獄寺はまだ下げられたままの山本の頭を見た。
 すると、山本の髪は砂だらけ。
 獄寺の脳裏に、野球部の先輩達に砂をかけられている山本の姿が浮んでおかしくなる。
 獄寺が山本に掴まれたままの両手を動かして山本の髪をはたくと、パラパラ、パラパラ砂が落ちる。
 
「おまえ、練習は?」
 馬鹿だなあ、こいつ。
 獄寺は知らず知らずのうちに、笑みを浮かべていた。
 
 パラパラ。

「もどかしくて恥ずかし過ぎるから、さっさとやってこいって言われた。」

 ゆっくりと顔を上げる山本の目と、徐々に角度を上げていく獄寺の目があう。

「キスしてこいって。」
 
 山本が楽しそうな顔で、獄寺の手を引いた。

「っ!!」

 子どもの遊戯のようだったのが、突如ラテンダンスのように2人の身体が密着する。
 ただし、密着し過ぎたために身長差から、獄寺の顔は山本の胸元にあたって、キスにはならない。

「キス、しよ。獄寺。」

 歌うような山本の声が心地よくて、獄寺は山本の胸に頭をあてたまま考える。
 あたたかな体温。ドキドキ鳴りっぱなしの胸。

「キスしたい。オレ、獄寺が好きだから。」

 馬鹿野郎め。どさくさまぎれに告白すんな。

 山本の胸に顔が隠れていて良かったと獄寺は思う。
 頬が熱くてたまらない。多分、頬が染まっている。

 恥ずかしげもなく好意を示されて、予想外なことに嫌な気はしないで、この瞬間、獄寺は確かに満た
されていて、冷静に未来を思うことができた。

 今、キスをしたら。
 この馬鹿がこの世にいられるのは、あと3日間だけ。
 その次の日から、山本がいない世界がはじまる。
 想像できない。 いや。 想像したくない。

「獄寺、キス、しよ?」
 山本の声は徐々に小さく不安げに消える。

「わかった。」
 獄寺は決めた。
 殺すのは今でなくてもいい。いつか気がむいた時に殺せばいい。

 獄寺は山本の胸から顔を離して言った。
「そのかわりオレがする。山本、少し屈め。」

 いきなりディープなキスをされてしまったら、結局山本を殺すことになる。
 安全な範囲で、触れるだけのキスを自分からしてしまおうと獄寺は考えた。 

「ん。」

 山本が嬉しそうな顔をして腰を屈めて、2人の視線の高さをあわせた。


 


 
2009/03/23

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