塔の小部屋

 本館から庭園を隔てて西側、薮の中をくねる小道を抜けると、緑の蔦にくるまれた古びた石造りの
建物に行き当たる。
 今は物置場となっていて、年に4回、季節ごとに数百の窓が開け放たれる日をより他、大人達が訪
れることはない。
 その西館の最上階、細くて急な螺旋階段を上がりきった先、塔の切先にあたる斜め天井の円い小
部屋が、子ども達の秘密の隠れ家だった。

 少女ビアンキは皹の入ったビスクドールのうちの一つを揺り籠に詰め込み、色水を流し込んだ哺乳
瓶を床に並べる。
「赤は大きくなるお薬。青は強くなるお薬。黄色はおりこうになるお薬。白は・・・???なんだったかし
ら、ハヤト?」
 幼児隼人は、年代物のビスクドールよりもまだ小さな体で、大きなトランクをこじ開けようとしていた。
「きのうは、しろはかわいくなるおくすりっていってた。おとといはしなないおくすりで、そのまえのひは
いきかえるおくすり。あっ。」
 キュー バッタン。
「っ!」
 声にならない幼い叫び。
「ハヤト?」
 振り返り見れば、弟は小さな両手をお化けのようなトランクの口に挟まれ、動けなくなっている。
「ハヤト!」
 ワンピースの裾を踏んだまま立ち上がって、ビアンキがつまずいて転ぶ。
「きゃっ。」
 ぶつかりあった哺乳瓶のガラスが弾け飛ぶ。
「おねえちゃんっ。っ。」
 挟まれたままであることを忘れて、姉の方に体を向けようとした弟がまた小さな悲鳴を上げる。
 白い顔。血の気のない頬。
「動かないでっ!ハヤトっ!」


 病弱な母親が産んだ妹は、誕生日を迎えないうちに天使になってしまった。
 父親に連れられてくる赤ん坊達も、いつのまにか真っ白くなって、小さな棺に詰められてしまう。


(まもらなければ)
 ビアンキは足に刺さったガラスの破片もそのままに立ち上がる。
(この子だけはまもらなければ)
 トランクの蓋を押し開けると、弟は泣きじゃくって抱きついてきた。
(まもらなければ、わたしがだめ。)


「どんくさい子。」
 抱きつきたがる弟を突き放しながら、差し出される手を片方ずつ掴んでみる。
「またこんなことしたら、もう連れてきてあげないわよ。」
「やだやだ。おねえちゃん。やだやだ。」
 ぷっくりとした小さな手をにぎにぎしても痛がる様子はないが、緑の目から幾つも幾つも涙の粒が転
げ落ちて赤くなった頬を濡らす。
「やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ
やだやだやだやだや」
「わがまま言う子は嫌いよ。ばか。」
 そっぽをむいて見せてから漸く痛みに気づいて、ビアンキは足に刺さったガラスの破片を払い落とした。
 玩具の哺乳瓶は全て床で割れてしまっている。中身もこぼれてしまったけれど、ただの色水、ニセ
モノのお薬だからかまわない。
 そして気づいた。
(ほんもののお薬をつくろう、ハヤトのために。あまいあまいお薬を。)

 


→2
 


2009/02/13



 小さい隼人君もおねえちゃんが大好きだったと思う。
 3歳のお誕生日よりも前のお話。

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