通り雨の日



 獄寺君の傘に入るのは嫌いだ。
 以前、学校を出る瞬間に雨が降ってきて、
「入って下さい、送ります」
 と、獄寺君が差しかけてくれた傘に飛び込んでしまったことがあった。
 傘を持つ獄寺君の腕に手を絡めて体を寄せると、獄寺君の体が硬くなって緊張しているのがわかっ
た。
 獄寺君には、小さな頃、スキンシップができる人間がいなかったんだろうなと思う。ランボや山本に
ペタペタ触られる度に、獄寺君は不快感をあらわに怒り出す。オレが触っても怒りはしないけれど、困
った顔をする。不快なのは変わらないみたいだ。
 くっついていたせいか、激しい降りの割には案外濡れないなと思っていたら、家に着いた時、獄寺君
がびしょ濡れになっているのに気がついた。獄寺君はオレにはわからないように、オレだけは濡れな
いように傘を差しかけていたんだ。
 オレはその時、自分自身の思い至らなさと獄寺君の鈍感さに傷ついた。
 獄寺君は自分を犠牲にしてもオレを濡らさないようにすることに、オレは気づくべきだった。
 濡れねずみになった獄寺君を見たら、オレが悲しい気持ちになることに、獄寺君に気づいて欲しかっ
た。

「バカ、もうっ、何してるんだよっ。」
「すみません。」
 オレが何に怒っているかも気づいていないくせに、獄寺君は謝罪した。

 家が濡れるからといって遠慮する獄寺君の腕を掴んで引きとめて、風呂に押し込んでタオルや着替
えを用意し終わった頃には雨は止んでいて、買いもの途中で雨宿りしていた母さん達も帰ってきた。
 オレの部屋で、風呂上がりの獄寺君の頭をバスタオルでゴシゴシ拭いたりしているうちに、学校帰
りの山本が宿題を片付けにやってきた。その時には外はすっかり晴れていて、窓から綺麗な夕焼け空
が見えた。
「ツナ達も、ちょっと待ってたら、雨止んだのになー。」
 そう言う雨の守護者は、雨の気配、空気の水分量に敏感ならしい。
「10代目にかえってご面倒をかけてしまった・・・。」
 バスタオルをかぶったまま恐縮して俯いている獄寺君の頭を、山本の指の長い手がポンポンと叩い
た。
 オレははっとして、山本の顔を見た。
「オレも獄寺と相合傘したかったのなー。」
 けれど、山本はオレの動きに気づかない振りをした。
「キメーこと言うな!この野球バカ。」
 山本は獄寺君を元気づけるのが上手い。初めから獄寺君を怒らせるのは得意中の得意だったけれ
ど、それを応用して獄寺君の気分を転換させたりするようになった。
「今日はすみませんでした10代目。オレ、これからは置き傘2本にしますからっ!」
 オレが何で怒ったのか、何で傷ついたのか、獄寺君にはやっぱりわかっていなかった。





「今日も雨だねー、ツナ君。」
 笹川京子はのんきそうな顔で放課後の教室の窓から外を眺めていた。ツナと一緒に日直の仕事を
しているうちに、雨が降りだしてきてしまった。
 今は土砂降り雨だけれど、きっと通り雨だから止むまで校内で待とうという態勢。兄の部活を覗こう
か、それとも籍だけ置いている黒川花主宰の同好会に顔を出そうか考えている。
「ねえ、ツナ君、一緒にお兄ちゃんの・・・。」
「オレ、チビたちの面倒見に、すぐに帰らないとならないんだよなー。」
 ツナはため息をついた。おまけに、置き傘は昨日使ってしまって、今朝は晴れていたから持ってくる
のを忘れてしまった。獄寺を探して置き傘を借りるしかない。
「じゃあ、また明日ね。ツナ君。」
「うん。さよなら。京子ちゃん。」
 教室を出た廊下でバイバイ、バイバイと手を振りあっていると、本を抱えた獄寺が早足でやって来
て、2人を制止した。
「笹川、少しここで待ってて。10代目ちょっと。」
「?いいよ?」
「なに?獄寺君?」

 獄寺は教室に入って行ってロッカーを開け、笑顔で2本の折り畳み傘をツナに手渡した。
「どうぞ、笹川と使って下さい。」
 その傘とその言葉が、ツナの胸の空気の気圧を狂わせた。
(オレの用事が済むまで待っていたくせに。オレと一緒に帰りたいくせに。2本ともオレに渡したら、自
分は傘無しで帰るつもりか。)
 友達なら対等でありたいのに。
 君には僕と対等でいたいという気持ちがないから、友達にさえなれない。

「・・・・・獄寺君、オレが合図するまでここに隠れていてくれる?」
 誰もいない教室で、ツナは獄寺の肩を押してロッカーの中に押し込んだ。
「あ?はい。」
 ツナが扉を閉じると、ロッカーからくしゅんとくしゃみが聞こえた。



「京子ちゃん、聞いてくれる?」
 揃いの傘を並べてツナと京子は下校した。
「いいよー。雨音でーあんまり聞こえないけどー。」
「そうだねー。」
「ツナ君ちで、雨宿りしていーいー?」
「いーよー。」

 ツナが廊下で差し出した傘を、京子は素直に受け取った。
 雨宿りしてから帰った方が濡れないのは分かっていたけれど、多少濡れたとしても、ツナと一緒に歩
きたかった。
 傘の出所はわかっている。これは、きっと獄寺君の物。
(ツナ君、獄寺君のこと、相談したいんだろうな。獄寺君は自分で使うはずの分まで、ツナ君に傘を渡
したんだ。)
 もし、自分が黒川花からそんなことをされたらと想像すると、やるせない気持ちになるだろうと京子は
思った。

「そろそろ、雨上がるねー。」
 沢田家のダイニングで、京子はアイスコーヒーのストローを吸った。向かいに座ったイーピンとランボ
はオレンジジュースを飲んでいる。
「ごめんね、学校でゆっくりしてれば濡れなかったね。」
 ツナはタオルで京子の鞄を拭いてくれている。
「ううん。ツナ君の話、聞きたかったし。」
 相談をしてもらえるのが嬉しい。
「ありがとう、京子ちゃん。」

 ツナは京子の隣りに座って、クッキーの缶を開けた。
「うちの親って、無茶苦茶なんだ。」
 クッキーの缶を差し出す。
 ランボとイーピンに1枚づつ。京子とツナも1枚づつ。
「いつもお母さんしかいないもんねー。」
 京子はジャムののったクッキーをかじった。
「ずっと母さんは父さんの仕事のことを知らされていなくて、父さんの帰りを待たされているばかりだと
思っていたんだ。母さんは父さんの言いなりで、全然対等な関係じゃないと思ってた。」
 クッキーの上のジャムは固い。
「うん。不公平だよね。何も情報が無いのは。」
 固いけれど甘い。
「・・・・・ゴメンね。でもさ、父さんと母さんが一緒にいるところを見ているうちに、反対だってことに気づ
いたんだ。
 父さんは母さんが大事過ぎて、大切過ぎて、大好き過ぎて、本当の自分を見せることができないん
だ。父さんにとって母さんが、絶対的なんだって。」
「力関係、反対なんだね。」
「でも、結局、対等じゃあ、ない。」
 ツナは缶を再びみんなの前に差し出した。
 また1人1枚づつクッキーを取る。
「夫婦や恋人には、対等じゃなくてもなれる。だけど、友達には対等じゃないとなれないと思うんだ。」
 ツナは薄い生地を筒状に巻いたクッキーを取って咥えた。 
「私達は?対等だから友達かな?」
 京子は手の中で2枚目のクッキーを半分に割りながら、ツナの方を向いた。そしてツナの咥えたクッ
キーを、口で半分かじり取る。
 サクサク。
「恋人であって、友達?」
 ツナは京子の手の中のクッキーの片方を取って、口に放り込む。
 サクサク。
「友達であって、恋人かな。」
 サク。
「ねえ、ツナ君。ツナ君がやらないとならないと思うことなら、何をやってもいいけど、私には全部教え
てね。」
 サク。
「うん。約束する。」
 サク。



「獄寺君、まだ中にいる?」
 京子を家に送った足で、ツナは再び学校へ戻った。
 獄寺がロッカーから出ていれば、救いがある。
 まだロッカーの中に隠れているのならば、救いようがない。
「獄寺君?」
 ロッカーの扉を開くと、体を小さく丸めて座り込んだ獄寺が見上げてきた。
「じゅーだいめー。くしゅん。」
 汗でつるりと濡れているのに、卵の殻のように白い顔をしている。
「帰るよ、獄寺君。」
 ツナは獄寺の手を掴んでロッカーから引っ張り出した。
「ロッカーの中、蒸し暑かったの?」
 掴んだ獄寺の手が熱い。
「はい。」
 ひきかけの風邪のせいもあってか、体温調節ができずに熱射病になりかけていた。
 救いようがない。救われない。

 ツナはロッカーに獄寺の背を寄り掛からせて座らせた。
「水持ってくる。座ってて。」
 自動販売機でポカリスウェットを買って教室に戻ると、山本がいた。
「どこいたの、獄寺?探してたのに。」
 山本は濡らしたタオルを獄寺の額にのせているところだった。
「獄寺君、これ飲める?」
 ツナが蓋を外したペットボトルを差し出すと、獄寺は無言で受け取り口をつけた。
「はー、生き返った。」
 時間をかけてポカリを飲み終えると、獄寺の顔に血の気が戻りつつあった。
「ありがとうございます。10代目。」
 獄寺の笑顔がツナだけに向けられていることに、その時山本はカチンときた。
「オレだって濡れタオル。」
「ん。サンキュ。」
 獄寺は素直に礼を言った。
 獄寺を探して山本が何度も教室を出入りするのが、ロッカーの隙間から見えた。ロッカーの中に隠れ
ていた、10代目の言いつけだったからだと言ったら、山本がどんなに怒るかわからない。
「帰りましょう、10代目。」
 山本から再び、どこにいたのか問われないうちに、獄寺は立ちあがった。

 マンションに着く頃、獄寺の足取りも顔色も普段どおりに見えた。
「本当に、大丈夫?」
 もう休むから帰って欲しいという獄寺の言葉を聞かず、ツナも山本も獄寺の世話を焼いた。
「風邪薬ある?」
「体温計はどこ?」
 2人とも獄寺の家に来るのは初めてで、スリッパをパタパタ鳴らして歩きまわるばかり。目標物は見
当たらない。
「無いです。どっちも。」
 濡らしたタオルを額にのせ、獄寺はベッドの上に横たわっている。けだるそうに見えるのは、ベッドカ
バーをはがしもせずに転がっているせいなのか。
「大丈夫です。帰って下さい。」
 獄寺はもう2人に構われるのが嫌だった。
 10代目の手を煩わせるのも嫌だし、山本に弱みを見せるのも嫌だ。
「遠慮すんなって。」
 山本が冷蔵庫から保冷剤をみつけてタオルにくるみ、獄寺の額の上のタオルと替えた。
「帰れ。」
「好きな子が弱ってる時くらい、面倒見たいのなー。なあ?ツナ。」
 ツナと獄寺の視線が、山本に集まった。
「あれ?ツナはまだ告白してねーの?オレみたいに獄寺が好きでたまんないって。」
 獄寺は上体をあげて、タオルを山本の顔に投げた。
「野球バカ、口閉じろ、10代目が呆れてらっしゃるぞっ。」
 ツナは獄寺のベッドに近寄った。
「そうだよ、山本。オレは別に獄寺君を好きじゃないけど、獄寺君がオレと友達になる気がないから、
しかたないから恋人にしたいだけ。」
「・・・・・・・・へ?」
 獄寺はぽかんと口を開けた。
「・・・なにそれ、ツナ」
 山本はツナの言い分が理解できずに頭を抱えた。
 ツナは獄寺の唇に人差指を一本あてた。
 獄寺は目を大きく見開いたまま、ツナの顔を見上げている。
「獄寺君、オレのモノになりなよ。」
 ふわっと微笑むツナの目に魅了されて、獄寺は瞬きもできない。
「ずっと今日みたいにいじめてあげる。」
 ツナは指を獄寺の唇の上で一周させてから引きあげた。
 それでも獄寺はツナから視線を逸らせない。
「それ、おかしいって!好きじゃないのに、恋人にしたいって!」
「山本、帰るよ。」
 ツナは山本の手首を掴んで、引きずるように部屋を出た。
 部屋を出るまで、その背に獄寺の視線を感じていた。
「獄寺君、戸じまりちゃんとしてね。」



「おかしい!おかしいって!ツナ!」
 マンションを出て、山本はツナの手を振り払った。
「おかしくないよ。山本こそ、獄寺君に友達になってもらえてるんだから、恋人になるのは諦めなよ。」
 ツナは前を向いたまま、淡々と山本に応えた。
「おかしいのはそこじゃねえよ。ツナ、前にタオルかぶった獄寺の頭に、チュー、してただろ。」
「あ、やっぱり見てたんだ。」
 やはりツナは飄々としている。
「好きじゃねえってのは嘘だろ。」
「あ、そうなのかな?あの時なんか、獄寺君が触られるのに慣れてない子どもっぽくて、可哀想で、い
たづらしたくなったんだ。」
「好きって言えば、ツナ、笹川とつきあってんだろ。」
「そうだ。京子ちゃんに言っとかないと。」
 ツナは携帯を取り出し立ち止まると、京子に電話をかけはじめた。
「京子ちゃん。さっきの話だけど・・・・・」
 ツナは京子に、獄寺をロッカーから引っぱりだしてからの一部始終を、包み隠さず報告した。

「それより、さっきの、今日みたいにいじめるって、なんなんだよっ!!」
 京子は電話越しに山本の叫び声を聞いて驚いた。
 日頃は温厚で笑顔を絶やさない山本をそこまで怒らせたのが、獄寺に対する恋愛感情であるなら、自
分とツナの間にあるのはより友情に近いものなのだろう。
 
「ツナ君、山本君に負けないでね。」





2009/04/16

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