「人狼庭苑 一」                              


 砕け割れた頭骨から脳漿を流す男、腐れた皮膚と肉の間から肋骨が見える女、
斬り落とされた両脚が皮一枚で繋がる子ども、真珠母色にぬめる鱗の蛇とトルマ
リンのように輝く八つ目の蜘蛛が蠢く黒い森を無事に歩き抜け出ることができれ
ば、月光に照らされて光る白い道を見つけることができるという。
 夜も柔らかに発光する蛍石で造られた敷石が並ぶその道を、ただひたすらに真
っ直ぐ歩いて行けば、どんな願いでも叶えることができる人狼の庭に辿り着くの
だ。
 しかし、発狂せずに黒い森を無事通り抜けられる者は少なく、正気のまま森を
出たとしても白い石の道の外側では痩せこけた老人が銃剣を突きつけられていた
り、捕らわれた少女が服を毟られ火刑場へと運ばれていたり、見世物小屋に売ら
れてゆく幼い奴隷が身体を刻まれようとしていたりして、思わず飛び出して白い
石を踏み外してしまう者は多い。
 一度踏み外してしまえば、二度と白い道には戻れない。たとえ黒い森に戻って
始めからやり直したとしても、再び白い道を見つけることはできないという。
 長い旅を終えて辿り着いた人狼の庭は常春の苑だ。
 解けはじめの雪の下に覗く黒土に植わるのは花木や果樹などではなく、狼の皇
国の高貴な血族達の屍だと言われている。
 まだ灼熱の体温を保ちながらも既に絶命している狼達の見事な毛皮の艶を眺め
ながら円形の庭の中央へと歩を進めれば、月長石の水盤から水銀の噴水が湧き出
している。
 そこに待つ人狼の帝の霊魂は挑戦者が最も大切に思う者の顔をしていて、その
前に捧げ物をすれば願いが叶うのだが、しかし、これが一番の難関なのだ。
 供物は唯一つ、挑戦者のために自らの意思で差し出される他者の命。



 旅も最初のうちは多くの挑戦者が歩いていたが、樹液の滴り落ちる黒い森の中
で大部分の者が脱落した。
 その頃から恭弥と隼人はお互いの顔を見知ってはいたけれど、言葉を交わした
ことはなかった。
 ただ互いに相手を小さい割りに強い個体としてを認識しているだけで、助けあ
うことも庇いあうこともなく森を抜けた。
 白い道に出て暫くすると正気のまま森を出た挑戦者達の中でも、より優しく強
い心を持った者から順に、目前に繰り広げられる地獄の沙汰に心を奪われ、一人
二人と脱落していった。
 恭弥は知っている。
 単なる正気では、旅を続けることはできない。
 このゲームをクリアするためにはある程度の狂気が必要とされる。
 思いつめた顔をした大人の挑戦者が、自動車にはねられる寸前の少女の姿の前
に飛び出して行ってしまうと、白い道の上に残るのは恭弥と隼人だけになった。
「バッカじゃねーの。どーして無関係な奴なんか助けるんだ?」       
 銀色の髪の少年がはじめて発した独り言に恭弥も同感の意を示す。
「謎だね。自分自身の願いを自ら軽んじるなんて。」          
 白い石の照り返しを受けて光る銀髪を揺らし、少年は雲雀の顔を見た。
「なんだ。オマエまだ狂ってなかったのか。」
 一瞬だけ翡翠の目が大きく見開かれ、すぐに眇められる。
 恭弥の黒玉の目の光に濁りが無いか探っているのだ。
「いや違う。オマエははじめっからイカレてたクチだな。」
 ニヤリと笑って見せる少年の的確な読みに、恭弥は嬉しくなる。
 狼の庭への供物に相応しい、冷たさと鋭さだ。
 前回は願い方が悪かったのかもしれないが、供物だって良質な方がいいに決ま
っている。
「そう言うキミも同じクチでしょ。」
「オレは獄寺隼人。オマエは?」
 旅の道連れを供物に仕立て上げることが、ゲーム攻略の必須条件であると隼人
も既に気づいているらしく、恭弥に友好的な態度を示してくる。
 察しが速くて何より。
 今回の旅は前回より楽しめそうだ。
「ボクは雲雀恭弥。」
 仮初の同道者に対し、恭弥も表情筋を随意に動かして造った笑みを返した。





2010.02.24

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