「人狼庭苑 二」


「昨夜は三日月だったのに、今夜は満月なのかよ。」
 夜になれば歩みを止めて休むのが、白い道を旅する際のルールだ。
 何故かといえば、昼間は道の外で何百回何千回と繰り返されている凄惨な光景
が、夜になれば消えるからだ。
 隼人は仄かに光る白い石の上に薄い毛布を敷いて座り込み、夜空を見上げてい
る。
 白い道の上では、太陽は一日に一度、左から昇り右に沈む。
 夜空にも、一夜に一度、月と星が左から昇って右に沈んでいく。
 ただし、その星座が動かないことに、隼人は森を出て三夜で気づいた。
 太陽の昇る位置と沈む位置も、本来なら日ごとに変わっていくべきなのに動き
が無い。
 ただ、月のみがいい加減な満ち欠けを繰り返している。
 きっと、白い道を流れる時間はフェイクなのだろうと隼人は思っている。
 人狼の庭で願いを叶えることができれば、時間は流れ星座は動きはじめるので
はないか。
 あるいは、白い道はこの世とあの世を結ぶ通路なのかもしれない。
 隼人には故郷の城を飛び出してから黒い森に至るまでの記憶が無かった。
 城を出てた時は八歳だったのに、いつのまにかに十四だ。
「オレ、もう死んじまってんのかな。」
 強い人になりたい。何でも知っている人になりたい。
 そう思って城を捨て人狼の庭を目指す旅に出たけれど、もし自分が死んでいる
のなら、この旅にはどんな意味があるのだろう。
「死んでると思っているならちょうどいい。僕のために犠牲になってよ。」
 隼人から二メートル程離れて、恭弥も自分の布の上に座っていた。
 軽くて嵩張らず弾力性と保温性に優れた布を恭弥は持っていて、隼人は羨まし
い。
「誰がテメーのために死ぬか!オレにはオレの夢があるんだよ!」

 隼人は一度だけ、恭弥が眠っている隙にその布を奪い取ろうとしたことがあっ
たが、恭弥は直ぐに目を覚ました上にやたらと強くて返り討ちにあってしまっ
た。
 矢鱈目鱈に殴られた末、翌朝になっても石の上を転がるばかりの隼人を置き捨
て、恭弥は先へ進んでしまった。
 翌々日、隼人が痛む身体を引きずる様にして一本道を歩いていくと、待ち草臥
れた顔の恭弥が石の上に座って道の外の光景を眺めていた。
 貧しい国で大地震が起きた様子だ。
 歪んだ鉄骨が突き出る瓦礫の下に埋もれている家族を、探し歩く人々の啜り泣
き声が木霊している。
「遅い。」
 一人では人狼の庭に行っても願いを叶えることはできないのだから、恭弥が隼
人が追いつくのを待っているのは当然だ。
 しかし、隼人はその時、恭弥に迎えられたことが素直に嬉しかったのだ。
「悪かったよ。」
 自分の願いを叶えるために道を進む恭弥が、自分のために命を捧げてくれると
は思えないから、隼人の挑戦は失敗に終わる可能性が大だ。
 だが、旅の終わりまで嫌われたままでいたくなかった。
「傷が痛そうだね。今夜だけは布を交換してあげるよ。」
 黒い森を無傷で抜け、道の外の光景にも心を動かされない恭弥の強さに、隼人
は態度にこそ表さないが内心では感嘆し、憧れめいた思いを抱きはじめていた。

 鞭に飴。
 あの時は良いタイミングで与えることができたと恭弥は思う。
 あれ以来、隼人の表情が豊かになった。
 冷たさと鋭さだけではなく、時には熱さも鈍さも覗かせる。
 今、隼人は二メートル先で空を見上げ、飽きもせずに星を数えている。
 いつか隼人に、夜毎に星が一つずつ減っていると教えられた時には驚いた。
 なんて恐るべき集中力。
 その力があるから、ここまで旅を続けて来られたのだ。
 そんな隼人に夢を捨てさせ命を捧げさせるには、どんな手段が有効なのか。
 どうすればいいかな?
 二度目の旅だが、前回は恭弥のために犠牲になることを前提として数人の人間
が従っていたから、恭弥が迎えるはじめての難関だった。

 

2010.02.25



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