ナッツ・エフェクト
どんな平行世界においても
あなたは誰よりも前で戦うだろう
「獄寺君、折りたたみの椅子、裏のプレハブから出してきてくれる?」
厨房からカウンター越しに、沢田さんがオレに呼びかける。
窓際のテーブルでぼんやり目覚めのコーヒーを啜っていたオレは、びょんと立ち上がって店を出る。
カフェ・ボンゴレは駅から離れた住宅地の外れ、キャベツ畑の真ん中にある。昨年オープンしたのを見つけた時は、こんな辺鄙なところの店なんかすぐ潰れちまうだろう、なくなる前に見ておこうと思って足を運んだのだけれど、案外コーヒーが美味しかったのと店長の沢田さんの人柄に惹かれて通いつめている。
開店直後、特に平日の午前中なんかは今日みたいにガラガラでオレの貸切みたいなことも少なくないけれど、ランチはいつもちょこちょこ客が入るし、だだっ広い駐車場があるせいか、急に集団の客がどっと押し寄せたりする。
片手に五脚ずつ、計十脚をちょっと引き摺りつつ店内に戻ると、黒ずくめの服を着た背の高くてごつい客がひしめいていた。オレは折りたたみ椅子を並べてから、さっさとグラスに冷水を注いで盆に載せ、お絞りと一緒に配りはじめる。沢田さんはコーヒーや紅茶やハーブティーやブドウジュースをグラスに注ぎまくっている。
水を配り終えたオレは、樹脂のポットに入ったミックスナッツを小皿に移す。突き出しだ。しかし、開けたばかりで満杯状態のポットの上の辺りは、ばかでかいブラジルナッツの比率が多くて、各皿に均等に入らない。匙でちょこちょこ直していたら、沢田さんが言った。
「気にしなくていいよ。とりあえず入ってれば。全部ピーナツでも奴等文句言わないから。」
客にも聞こえる大きな声で、オレはびっくりして沢田さんを見たが、沢田さんはもうオレには背を向けて、超高速で作業をしていた。
オレはナッツを配って、ドリンクを配って、それからカトラリーのカゴを配って、ランチセットのカップスープとサラダを配って、その間に来店した他の客に今日は珍しく満席だからごめんなさいと頭を下げて、カウンターに戻るとメインのチキンのハーブソテーができあがってきたので、プレートにつけあわせのイタリアンパセリやプチトマトを並べて、それからまた配りまくる。
やっと黒服全員の前に皿が揃うと、沢田さんはオレにコーヒーを淹れなおしてくれた。
「悪いね。」
すまなそうな顔でそう言う沢田さんに、オレは首を横に振って笑って、厨房の隅の丸椅子に腰掛けた。沢田さんもひと段落して、立ったまま紅茶を飲み始めた。
その時、ブドウジュースのグラスを前にした客が立ち上がって、カウンター越しに沢田さんに勢いよく頭を下げた。
「ボンゴレ、どうかお願いします。今回の仕事、手を貸して下さい。」
オレは目を瞬いてその客の顔を見た。黒服達の中では一番若くて、長髪の黒髪がくるくるした超個性的な髪型の色男だ。まるでマフィアみたいな連中が、小柄で温厚な沢田さんにどんな仕事を手伝わせようというんだろう?
「他のお客さんがいる前ではやめてくれない、そうゆう話。」
沢田さんがそう言うと、色男はきょとんとした顔をした。沢田さんはひょいと返した手でオレを指すものだから、オレは仕方なく頭を下げた。店員の振りをしていたからちょっと気まずい。
「えー!前来た時は、頼み事する前に店を満杯にして食事しろって!」
色男の方からガビーンという擬音が見える。
「後で訊くから、冷める前に食え。」
沢田さんはけんもほろろに袖にする。
疑問符丸出しのオレが沢田さんの袖を引っ張ると、沢田さんは困った顔をしている。
「うん、ええとね、前の勤め先の会社の連中なんだ。葬儀屋でね。大きな葬儀があるから手伝って欲しいって、前々から言われてたんだ。」
つじつまがあわない言い訳だけれど、オレは物分りのいい振りでこくんと首を縦に振った。沢田さんがとても困っているのが判ったからだ。
「ごちそうさまでしたー。後でメールします。」
レジを済ませた黒髪の色男がそう言って黒服連中を引き連れて出ていくと、途端に店はがらんとした。沢田さんを手伝ってテーブルを片付け終わると、沢田さんは日当たりのいい窓際のオレのお気に入りの席にケーキセットを置いてくれた。
「ありがとう。助かったよ。あいつ、直前にメールしてくるもんだから、準備もできなかった。」
いいえ。オレは首を横に振る。口が利けないオレに普通に接してくれて、昼日中からぶらぶらしているオレに何も詮索しないでいて下さるあなたが、オレは大好きです。
オレの想いが伝わったのか、沢田さんはにっこりと笑った。
「何があっても、君だけは守る。君をオレの事情に巻き込まないよ。」
オレもあなたの過去を詮索しません。だけど、あなたの手に余ることなら、オレにも手伝わせて下さいね。今日みたいに。