桃色吐息

 




 時はバブルの真っ最中。所は湊区浅利十番。七本木駅から歩けば15分もかかる立地は、自家用車かタク

シーで来店できるお客様でなければ来店ご無用と相当に高飛車な意思表示だが、高校生を締め出したこと

が功を奏して、大人の遊び場として名を馳せた。ネオンサインも鮮やかな高級ディスコ、ラージプートは連日

DCブランドで着飾るOLや彼女ら目当ての男性客で賑わっている。


 雲雀は制服の黒ベストのまま、VIPルームの常連の『サロメ2号』なる通り名で呼ばれる客の一声で、ハーゲ

ンダッツ・アイスクリームを買いに夜の街を走らされた。実際、雲雀と互恵関係にある『2号』が、混み合う店内

に嫌気が差し苛つきだした雲雀のためにサボる口実を作ってくれたのだとは分かっていても、『2号』を一人

にするのが気がかりで急いで店へと戻る。


 裏口から入ってすぐさま厨房へ行けば、何も言わないうちから茶髪のバイトが訳知り顔で食パンの厚切りを

トーストし始めた。よく見る顔だが名前は知らない。日頃、『2号』が親しくしているらしいのが気に食わない大

学生。アイスを業務用の冷蔵庫に入れた雲雀はしばしの休息。オーダーの皿を届けたら、フロント業務へ戻

らなければならない。


 雲雀は黒服見習いの格好はしていても、この店の用心棒として雇われていて、ある特定のVIPのお嬢様の

我侭を例外として、本来フロア業務には入らない。店の格・雰囲気にそぐわないからとドレスコードのチェック

に弾かれた客が、納得いかない店に入れろと暴力に訴え出ることがままにある。スカウトされて入店した当初

こそ逆上する客もいたので腕を振るえて面白かったが、近頃はそんな野暮も減って、雲雀の出番はとんと無

い。悪魔の様に厳しく容赦ないフロント係がいるという噂が広まったせいでもあるからクビになる恐れはないが、

仕事に対するモチベーションは下がりまくりだ。そもそも、女性の雲雀が性別を偽ってまでこの店で働きだした

きっかけである、リボーンと名乗った謎のスカウトマンと真剣勝負をするという目的も達せられていない。


「はい、どうぞ。愛しのお姫様がお待ちかねですよ。」


 笑顔で皿を差し出した茶髪のバイトの腹を軽く蹴り上げてから、雲雀はフロアへ進む。大理石の床に配され

た二枚貝を模した真鍮のオブジェが特殊照明を浴びて煌く。パキスタンの王族の称号を冠するに相応しい豪

華絢爛たるダンスフロアは、今日も客で溢れている。


 忌々しいほどの人いきれに、雲雀はこの群れを咬み殺せたら楽しかろうという衝動にかられるが、聞きなれ

た少女の声で我に返る。

「ヒバリー、こっち来いよ!一緒に踊ろうぜっ!」

 人込みの中でも一段高くなった場所、所謂お立ち台の上でユーロビートに乗って踊る『サロメ2号』は、群を

抜いて目立つ。華奢な身体のラインを見せびらかす淡い緑のワンピースが揺れる。リズムを刻む銀色のピン

ヒールがくるくる回る。『2号』こと獄寺隼人は、日本人離れした容姿だけでなく、切れのある動きと巧みな振り

でも際立っていた。昼間の彼女を知らなければ、実は彼女が中学生だとは誰も気づきはしないだろう。

「アイスが溶けるよ。おいで。」

 獄寺の手招きを無視して、雲雀はVIPルームへと向かう。

「ちぇっ。」

 台を飛び降り獄寺は雲雀を追う。お立ち台上の空きスペースはすぐに常連の女性客が埋めた。



「君、スカート短すぎだよ。」

 ソファーに掛けた獄寺がハニートーストのストロベリーアイスのせをパクつくかたわら、雲雀は腕組みをして

立っている。VIPルームに陣取る他の女性客達が遠くから、小柄で細身ながら涼しい美貌の黒服を独り占め

している獄寺に、羨望と嫉妬の眼差しを注いでいる。

「しかたねえだろ。姉貴の服、どれもこれも、こんなんだから。」

 

 かつてこの店の常連だった獄寺の姉は、モデルばりの美貌と妖艶な踊りから、『サロメ』とあだ名されていた。

彼女目当てに来店する男性客は多く、また女性ファンも少なくはなく、店側は彼女をVIP扱いしていたが、半

年ほど前から突然、『サロメ』は店に姿を現さなくなった。一時、彼女目当てだった男性客が、『サロメ』を探し

に他のディスコへ流れたために来客数が激減した。慌てた店側は更に優遇するからうちに戻って来て欲しい

と『サロメ』に話をつけようとしたが、何故か誰一人として彼女の素性も本名も知らず、連絡は取れず仕舞い

だった。後々、彼女について判明したのは、黒尽くめの謎のスカウト、リボーンと親しげにしていたという目撃

証言だけ。元々、リボーンは『サロメ』ほど頻繁に来店してはいなかったが、『サロメ』が姿を消した頃から店に

現れていない。

 『サロメ』が姿を消してから一月程経った頃、ラージプートに現れたのが獄寺隼人だ。初めて獄寺が来店し

た日も雲雀はフロントに立っていたが、デニムにチェックのネルシャツ、スニーカー履きで目つきの悪い獄寺

は、昼間の彼女を知らなければ不良少年にしか見えなかった。

「男性だけでお越しのお客様、高校生のお客様には、ご入場をご遠慮頂いております。」

 門前払いを食らわす黒服に、獄寺は眉間に皺を刻んでガンを飛ばした。

「んなの知るか。オレは遊びに来たんじゃねえ。」

 制止するスタッフにいからせた肩をぶつけて奥へ進もうとする獄寺に、雲雀は舌なめずりをする。

「僕の出番だね。」

 その後、抵抗して暴れる獄寺を数人がかりで捕らえてスタッフルームに運んだ。

「初めて見た時から、君のことは咬み殺してやりたいと思ってたよ。」

 昼間の彼女、制服姿の獄寺を雲雀は知っている。自分は他の少女達とは違うのだという態度でいるくせに、

時折、孤独に打ちひしがれた顔をするのが、惨めで哀れでムカついていた。弱ければ群れていればいいの

に。弱い草食動物の群れはムカつく存在だが、惨めや哀れではない。

「テメエ、果たしてやる!」

 幼児のように薄い爪を立てて引掻いてくる指が鬱陶しくて、雲雀は彼女の両手を合成樹脂の紐で後ろ手に

結んだ。

「この変態野郎!」

 パイプ椅子に縛りつけて、小一時間ほど小突き回していたぶる間、スタッフ達は雲雀を恐れて休憩室に入

ってこなかった。獄寺が疲れて憎まれ口も利かなくなったのを見計らい、雲雀は疑問を口にした。

「君、女の子でしょ。なんでそんな格好で来たの?」

 少年のように薄い身体でも、胸下で縛った紐のせいで小さな両の膨らみが際立っている。さすがに言い逃

れできないと悟って、獄寺は女性であることは否定しない。

「うるせえ、オレは遊びに来たんじゃねえ。姉貴を探しに来ただけだ。チャラチャラした服なんて着てられっ

か。」


「姉?」


 雲雀は獄寺の家族調書を読んだことがある。彼女の戸籍には姉の名はなかった。

「オマエでもいい、教えてくれ。ビアンキっていう茶髪のワンレンの女を知らねえか?この店に来てたはず

だ。」

 彼女の必死な表情から、嘘をついてはいないと雲雀は直感する。

「そんな人知らないよ。今時、そんな髪型いくらでもいる。」

 だが、ワンレンも茶髪もカタカナの源氏名を持つ女も、この界隈では珍しくないからヒントにならない。

「頼む、思い出してくれよ。黒ずくめの妙な男がよく一緒にいたらしい。」

「ん?」

 雲雀の脳裏にある可能性が浮上した。

「それって、『サロメ』とリボーンのこと?」

「ビアンキを知ってるんだなっ!」

「僕は新人でね。少し前までは常連だったらしいけど、顔も知らないよ。」

「誰か、誰でもいい、姉貴の行方を知ってる奴はいないのか?!」

「そんな人がいるなら、店だって僕だって、教えて欲しい。」

 雲雀の声にも実感がこもっている。

「え。」

 殴られ続けても突っ張った態度を崩さなかった獄寺の顔が蒼白になる。彼女が持つ姉への手がかりは、こ

の店で終わりだったのだろう。

「中学生はもうおうちへ帰りなよ。」

 雲雀が紐を解きはじめた。

「たった一人の姉なんだ。」

 自由になると、獄寺はふらふらと立ち上がった。

「そう。」

 彼女は白人の血が濃いらしく、メラニンの少ない肌は紙の様に白い。

「親戚の家で厄介者扱いされてたオレを見つけ出して、こっちへ連れて来てくれたんだ。」

 獄寺は『サロメ』の行方は知らなくとも、雲雀が持たない情報を持っているらしい。雲雀は計算する。獄寺と

『サロメ』が本当に姉妹ならば。

「ねえ、君達って似てるの?」

「造りは似てる。オレは姉貴ほど綺麗じゃないけど。」

「僕の言う通りにするなら、明日は店に入れてあげるよ。」



 姉の服を着て来店した獄寺は、3日もしないうちに『サロメ2号』と呼ばれだし、一週間後にはVIP扱いされ

ていた。以前の『サロメ』によく似た女がいるという噂を聞きつけて男性客が戻ってきたが、雲雀が期待する効

果は得られなかった。リボーンは現れなかったのだ。


「目的、覚えてる?遊びに来てるんじゃないって言ったよね。」 

 ハニトーの上でアイスが溶けていく。『サロメ』の失踪から半年経った今も、2人はラージプートで彼女の行方

を知る人物の訪れを待っていた。

「言ったさ。踊りながらだって、客の顔はしっかり見てる。」

 甘ったるいけれど、香料っぽいイチゴの香りが漂う。獄寺はこのハコの水が肌にあったらしく、昼間見かける

時より、ずっと生き生きとしている。

「金髪の外人が来てたけど、どうだった?」

「モデル風のちゃらい奴?運動神経ゼロで、すっげー踊りが下手だった。」

 お立ち台の上は見晴らしが良く客を観察のにはもってこいだが、男性客にも鑑賞されるから雲雀は気が気

でならない。

「そんなの関係ないよ。」

「関係なくねえ。姉貴が下手な奴を相手にするわけがない。」

 雲雀はリボーンとたった一回だけ手合わせした時のことを思い出した。確かに、黒尽くめの男は踊るような

身のこなしだった。

「・・・それは言えてるかも。」

 獄寺はフォークを握る手を止めて、雲雀の顔を覗きこんだ。

「ところでさ、雲雀。ずっとあの男のこと追い駆け回して、オマエって男好きなの?同性愛者ってヤツ?」

 獄寺は稀に突拍子もないことを言い出す。雲雀は息を吐く。獄寺は昼間の雲雀に気づかないどころか、

本当の性別にも気づいていない。

「・・・男好きではないよ。同性愛者ではないと否定できないかもしれない微妙なところにいると言わざるを得

ないけれど。君こそ姉貴姉貴って、とんだシスコンじゃない。」

「ちげーよ!あの人はオレの恩人なんだ。」

「山奥から引っ張り出してきて、たった3日間一緒に暮らしただけで、その間も毎晩うちで遊んでた末、中学生

の妹をたった一人で放りだしていくような女が?」

「ウルセエ!」

 この話題になるとどうしても、雲雀と獄寺の間に諍いが起きる。

 確かに獄寺は幼い時に母親を亡くしてから、遠い親戚の間をたらい回しにされてかなり惨い扱いを受けて

きた。学校も満足も通っておらず語学はさっぱりできない。銀髪碧眼なのに英語が全く通じず、驚かれること

が多々ある。一方、数学や暗記が主流の社会等は、教科書さえあればなんとかなって、年相応の知識はあっ

た。

 ビアンキは姿を消す前に、獄寺の暮す家、生活費、学校への編入、法的な代理人など、必要な手続きは全

て済ませておいてくれてはいた。しかし。

「あの人は、君が必要なモノをくれたわけじゃない。」

 獄寺はムシャムシャと甘いパンを食べ続けている。雲雀の言葉に耳を貸す気は無い。

「君が欲しいのは、家族でしょ。」

 初めてこの店でハニトーを食べた日、獄寺は「コレ、姉貴の味だ。」と嬉しそうな顔をした。厨房の茶髪のバ

イトを問いただせば、確かに『サロメ』は最後に来店した日に、無理を言ってハニートーストをテイクアウトし

ていた。ニセモノの家庭の味を懐かしがる獄寺の狂った味覚が、雲雀には悲しい。


 3月に入って間もなく。獄寺には中学生でも高校生でもなくなる狭間の時期が近づいているが、ビアンキが

選んで編入させた学校は中高一貫性の女子校で、中学の卒業はHRで証書を配られるのみで済み、高校へ

進学するという実感がない。


 今夜もラージプートのお立ち台で新しい振りを考案しながら踊る獄寺の目に、VIPルームへと向かう雲雀が

映った。

「まだオーダーしてねえのに。」

 雲雀はふわりピンク色した皿を運んでいた。きっといつもの特製ハニトー。獄寺は不思議に思う。雲雀ほど

群集が嫌いな人間はいないのに、探し人という目的はあっても、よくこんなディスコで店員を続けていられる

ものだ。

 雲雀を追ってVIPルームへ入った獄寺は、定席のソファに座る。

「そんなサボりたいんなら、オマエ辞めちまえば。」

 軽口のつもりだった言葉に、雲雀は肯定した。

「辞めるよ。」

 雲雀はテーブルに皿を置いた。

「え??」

 獄寺から二重の疑問符が飛ぶ。

「ようやくリボーンとビアンキの失踪当日の足取りが掴めた。タクシーで成田空港へ向かっていたよ。まだどこ

の航空会社を利用したかは不明だけれど。」

 トーストの上には半球状のアイスが2つ。皿の周囲は桃の生花が飾られている。

「・・・それって、」

「2人はまず確実に国外にいる。そしてこれはハニトー雛祭りスペシャル。君、自分の雛人形持ってないって

言ってたよね。」



 以前、獄寺の通う中学校の校舎の最上階の暗い廊下にある曇ったガラスケースには、何故か常に雛人形

が飾られていて、前を通るのが怖いという話題がのぼった時、そんな話をしたことがあった。

「うん。あれは怖いね。」


 よく見れば、アイスにはチョンチョンと顔が描かれて男雛と女雛になっている。

「これ以上ここで待っていても無駄だから、僕は今日限りでこの店を辞める。接客業は向いてないしね。店長

にも話してきた。」

 獄寺は、親戚の家の座敷に飾られていた段飾りの雛人形を思い出す。綺麗だなあ。お母さんみたいに白く

て優しい顔をしているなあと見ていたら、触るな卑しい目で羨むなと殴られて投げ落とされ、一晩中家に入れ

てもらえなかった。

「そろそろ試験勉強を始めないとならないし。」

 雲雀がくれた桃色の雛人形は、もうすでに照明の下で解け始めているけれど、獄寺は嬉しくてたまらない。

「そう言えば、司法試験受けて裁判官になるって言ってたよな。」

 そして、哀しくてたまらない。ずっとこの店で一緒にいられると思っていたのに、雲雀までどこか遠くへ行って

しまう。

「今はその前の段階だけどね。」

 獄寺の視線はアイスの雛人形から動かない。雲雀の実家は代々病院を経営する医者の一族で、雲雀の希望

する進路は親の反対にあっているらしい。雲雀の決意を応援するべきなのだろうけれど。

「なんで、こんな、いきなりなんだよっ!」

 怒りの感情に弾けた獄寺が、雲雀を睨む。まだ零れてはいないけれど、碧の目に涙が揺れる。

「やっと2人の足取りが掴めたって言ったでしょ。」

 オマエは別れが辛くないのか悲しくはないのかと雲雀に問いただしたいけれど、獄寺のプライドが邪魔をした。

「さっさと辞めちまえ、オマエなんか嫌いだ。」

 子ども染みた獄寺の憎まれ口に、雲雀は苦笑をする。

「君も毎日ここで遊ぶのはやめるんだ。」

 毎日見張ってもいられない。たまにならつきあえるけれど。

「いやだ!ここはやっと見つけた居場所なんだ!」

 とうとう目から水滴が溢れだした獄寺の前で、雲雀は床に膝をついた。

「ねえ、獄寺。君、僕のお嫁さんになってうちの病院を継いでよ。君は理数系の方が得意でしょ。」

「やだ!オレは男と結婚なんかしない!男なんか大嫌いだ!」

 自分の身体を両腕で抱きしめる獄寺の額に、雲雀は額をコツンとぶつけた。

 返事は何時でも良いよ、憲法の基本的人権に反するって訴えてから民法を変えるまでにまだ時間がかかるか

らね。だけど返事はイエスかハイ以外は認めないよ。と言うだけ言って雲雀が去った後、獄寺は一人でハニトー

を食べた。桃の花まで口に入れてしまってから、もう既にこれは姉貴の味とは別物だなあと思うと、また一粒涙が

零れた。


 翌朝、セーラーの制服をきっちり着込み、髪をピンで止めた獄寺は、図書室へ向かった。泣き続けて腫れぼっ

たい目を隠すために黒縁の眼鏡までかけている。無駄骨だろうが、成田空港から出ている国際線の種類を調べ

るつもりだった。

「雲雀の野郎、連絡先も教えねえで、どう返事しろって言うんだ。」

 もしかしたら、雲雀までビアンキと同様に音信不通になってしまうかもしれないと気づいていながら、昨夜の雲

雀の言葉に喜怒哀楽を揺さぶられ過ぎて現実感が取り戻せない。そういう時はこつこつと頭を使う作業に没頭

するに限る。

 図書室は中高共通の施設で高等部のHRがある新館内にある。扉を開けた瞬間、7段の雛人形が飾られてい

るのが目に飛び込んできて獄寺はぎょっとした。

「なんだこれ?」

「僕達の先輩のどこぞのおひいさまが寄贈したらしいよ。」

「へー。」

 聞きなれた声の応えに獄寺は感心の声を漏らした。

「えっ?」

 再びぎょっとして振り返ればそこには。

「ようこそ高等部へ。」

 獄寺と同じ制服姿の雲雀が立っていた。


 



2010/03/03

 


 時代考証に手間取りました。

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