君は羊



 羊というのは依頼心の強い生き物で、群れの中に山羊を1頭入れておくと、みな山羊について行っ
てしまうそうだ。山羊でも羊でも弱い草食動物であることに変わりはないけれど、羊の方が利用価値
が高い。毎年毛を刈って利用できるばかりでなく、乳や肉を食用にできる。
 獄寺は羊だ。
 羊だから、山羊の沢田の後についていく。
 すべての群れた草食動物は僕に咬み殺されるために存在するけれど、獄寺は羊だから咬み殺す
以外にも利用できる。食い尽くすとか。



 雲雀恭弥はふとした思いつきを口にしたくなり、校庭にいた獄寺隼人に接近を試みた。
 砂を引っ掻いただけの線で書かれた大きな日の字があって、一方の□の中に獄寺と沢田が、もう一
方の□に山本がいる。その他大勢も群れている。
 獄寺が沢田をかばって、正面から飛んでくるボールをキャッチ。すぐさま山本の脚目がけ、地面すれ
すれの低いボールを投げる。それを山本はぴょこんとジャンプして避ける。
 雲雀はびゅんびゅん飛びかうボールの間をぬって獄寺の真後ろへ。脇から飛んできたボールをトンフ
ァーで弾き、獄寺の背に声をかける。

「ねえ。」

 雲雀の声に獄寺がひょいと振り向く。銀の髪がざわっと揺れる。上気した頬。額に浮かぶ汗の粒。
血色のいい唇が小さく開いて、

「わ。」

 派手に驚いてくれた。

「雲雀さん、ボール弾いたらアウトです。」
 
 笑う沢田を無視して、雲雀は獄寺に告げる。

「君は羊。」

「雲雀、コート出ろ。」

 獄寺は顎先でコートの外を示した。ゲームに参加するつもりのない雲雀は、当然ルールに従わない
が、

 びゅん。

 山本が投げてきた豪速球を、両手のトンファーでキャッチした。

「雲雀、やるのな~。」
「雲雀さん、もらいますっ。」

 沢田がトンファーの間からひょいとボールを取って、山本めがけてへろ~んと投げた。高めのボール
を山本はすとんと片手でキャッチするが、変な方向に回転がきいていて、手からぽろんとこぼれ落として
しまった。
 沢田チームから派手な歓声が上がる。

「お見事です!10代目!」

 獄寺がキラキラ目で沢田を称賛する。

「山本が油断してたんだよ。」

 照れる沢田の後ろで、憮然とする雲雀。

「ツナ、やってくれたな。行くぜ!」

 コート外から山本が両手にボールを構えている。

「10代目はオレが守る!」

 ツナの前に踊り出た獄寺を、雲雀がキャッチ。腰の下に両手を回し、抱えあげて運び出す。

「あ!わ!わ!」
「行くよ。」



 応接室まで運んで、雲雀は獄寺をソファーの前に下ろした。獄寺はソファーにすとんと腰掛け、手で
ぱたぱた胸元をあおぎながら、雲雀を見上げる。

「なんだっての。いきなり。」

 ふわん。雲雀は獄寺の頭にタオルをかけた。獄寺は額の汗を拭う。

「あのボール、僕が取ったんだからね。」
 ぼそ。

「ん?何か言ったか?」

 獄寺がシャツのボタンを開けて胸元を拭き始めたので、雲雀はついと目を逸らす。窓の外、校庭で
はまだドッジボールが続いている。

「雲雀、茶ぁもらう~。」
「だめ。」

 急激に身体を冷やしては、と言いかけて雲雀は、突如屈伸でもするようにデスクの向こうにしゃがん
だ。
 冷蔵庫に向かおうとする獄寺は上半身裸。もろに見てしまった雲雀だった。

(ワオ)

 肩を貸したり抱えたり服越しに接触する時は気にならないのに、衣服の下の日焼けしない乳白色の
肌や桃色のグラデーションとか、背から腰までのラインや腹のくぼみとか、獄寺の視覚情報は雲雀の
精神に及ぼす攻撃力が高い。ちら見する度に、脳神経細胞にスタンプするような強い印象を残して、
より重要度の高い情報や緊急度の高い問題を下層へと沈めてしまう。

「ケチ雲雀!ケチヒバリン。」

(落ち着こう。)

 雲雀は自分が獄寺に性的な関心を寄せていることを否定してはいない。自己認識を誤ることは、ど
んな戦闘においても敗因となりうる。

 雲雀はがっとデスクの引き出しを開いてスペアのシャツを取り、ソファー方向に投げた。

「着なよ。」
「サンキュ。借りるな。」

 雲雀は衣擦れの音を聞き分けてから立ち上がる。獄寺を背にポットのお湯で紅茶を淹れる。ティー
バッグをふりふり揺する。
 今現在、獄寺の視覚情報は雲雀にとって刺激的だ。しかし、それは入ってくる情報が少ないからで
あって、情報が蓄積すれば相対的に刺激は弱まり、雲雀に対する破壊力は減少するだろうと予測し
ている。つまり、獄寺から性的な刺激を受ければ受けるだけ、雲雀の自己防衛力が強まり、総合的な
戦闘能力は上がる。

「オレも熱い茶欲しい。」

 獄寺は借りたワイシャツの両袖を1つ折り返しながら、とてとて歩いて雲雀の背に近づいてくる。

「ちょっと待って。」

 獄寺から性的な情報をより多く引き出すため、近頃、雲雀は獄寺を咬み殺さない。獄寺に性的な欲
求を持っていると気づく以前、獄寺を咬み殺すのは楽しかった。獄寺はどんなに咬んで傷つけても、
怯まず竦まず雲雀を睨み返してきて、その目だけは草食動物ではないみたいだったから残念だ。で
も、獄寺は羊だから、咬み殺せなくても食い尽くしてやれる。

 今、雲雀は獄寺を手懐けるために、柄にもなく甘い顔をして見せることも、優しげに振舞うことも辞
さないつもりでいる。甘さとか優しさを自然に態度に示すのは難しいけれど。何故そうまで草食動物を
構う必要がと思わないでもないけれど、獄寺から強い性的刺激を引き出すため、布石を敷いているの
だからしかたない。早い話が、獄寺を抱きたくてたらしこもうとしている。

「はい。できたよ。」

 ティーカップを手渡そうとして振り返った雲雀は、シャツ全開の獄寺に気を取られバランスを崩した。

「熱っ。」

 紅茶が獄寺の胸を濡らした。雲雀はすぐさまカップを戻し、獄寺のシャツを掴んで生地に熱湯を吸わ
せる。

「汚れるって。」
「ちゃんと着ないからだよ、ばか。」

 雲雀は冷蔵庫から冷水を取り出し、タオルを濡らして獄寺の胸にあてる。

「冷たっ。」
「冷やして。」

 雲雀は救急箱を取り出して中を探る。獄寺を咬み殺していた頃は活躍していたが、このところ仕舞
いっぱなしだ。

「もういいよ。タオルどけて。」

 雲雀は獄寺の胸に散る薄赤い点に、指で薬を塗っていった。

 獄寺の顎先に、屈んだ雲雀の髪がぱらぱら触れる。
 大した火傷ではないけれど、心配している雲雀のためには神妙に治療を受けた方がいいと大人しく
している獄寺だったが、見かけに依らず毛質の硬い黒髪がさわさわくすぐったくて、

「んっ。」

 鼻に抜ける声を上げた。

 雲雀は思わず獄寺の胸からばっと手を離した。
 獄寺に火傷を負わせてしまったことに焦っていたから気にならなかったが、獄寺の胸を撫でまわして
いたことに気づく。意識してしまえば、2つの桃色のグラデがまる見えだったりして、眩暈がしそうにな
ったが、まだ薬をつけていないところが残っている。ヒバードの小さな足に並ぶ鱗を思い浮かべて、
気を強く持つ。

「あと少し。」

 残った部分に薬を塗ってやる。

「終わったよ。」
「まだ。右乳首も痛い。」

 今度は本当にくらんとした雲雀だったが、この程度の性的刺激にあてられていては獄寺を抱くことな
どできないと、バリネズミがきゅいんと鳴いた時に見えた舌を思い出して、勇気を振り絞る。
 指先に多めに薬をのせて、桃色の濃い部分の上にぽつんと置いて離す。

 指の腹に残る粒の感触の情報が、雲雀の表層意識から深層へと侵食していく。

「雲雀、そっち左。」



 雲雀のたどたどしい指が胸から離れていった時、獄寺は雲雀の右手が赤くなっているのを知った。

(オレの身体に触りたいからって、雲雀のエッチ。)

 悪い気はしなかったので、獄寺は雲雀の手に冷水タオルを巻いてから薬を塗ってやった。自分の火
傷に気がつかない雲雀をバカだと思いながら。


(今度は羊か。)

 先週はカルガモの雛だと言われた。先々週はヤドカリ、その前の週は三葉虫だった。

 獄寺には雲雀の思考回路は理解できないが、雲雀が獄寺について長い時間を費やして思考を廻ら
せていることはわかる。下心を持って接近してくるのだって知っている。でも、悪い気はしないのだ。

(いつか、恋人にしてくれるかな。)




2009/05/30

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