あいしてないしだいきらい

 

 

「雲雀のばかやろー!!」 

 五月五日の午後十時、獄寺隼人は三浦ハルのベッドで叫んだ。

 二日遅れのハルの誕生会兼パジャマ・パーティの最中で、獄寺は今、ふわふわした長い髪の少女の姿で、獄寺とは別人の鳩という名の妹としてそこにいる。

 不思議なことに、獄寺は左手の薬指から指輪をはずすと女の子に変身する。それは獄寺がものごころつく前からつけていた指輪で、後に実母だと知ることになる大好きなピアノのお姉さんから、何があってもはずさないでと言われたものだ。

「雲雀さんに、何されたんですか?」

 気絶から覚めるなり手で顔を覆ってしまった獄寺を気遣っていたハルと京子はもとより、花もクロームもベッドのまわりに集まってくる。

「大丈夫?鳩ちゃん?」

 獄寺は俯いたままぐっと奥歯を噛みしめた。騙された、裏切られた、一大事なのに断りも無く決めやがってと湧き上がる雲雀への怒りを吐き出してしまったが、これ以上情報を漏らすわけにはいかない。

「相談のるよ。聞かせて。」

 肩をとんとんと叩いて励ましてくれる花に甘え、雲雀に対する恨みつらみを話してしまえたら、多少は気も晴れるのかもしれない。しかし、こうして女子会に紛れ込み、あまつさえ風呂まで一緒に入ったのが実は同級生の男でしたとか、ばれたらやばいどころではない。それに。

「言えねえ。んな恥ずかしいこと。」

  獄寺自身わかっていた。雲雀にもてあそばれて傷ついているのは、あんな奴に心を許してしまっていたからこそだと。

 じわっ。獄寺は滲みそうになる涙を我慢した。

「・・・いい。言わないで。」

 その時、獄寺を柔らかくてあたたかいものが包みこんだ。

「・・・・・・・わかってるから。」

 背後からぎゅうっと抱きしめてきたクロームのおかげで、獄寺の涙腺は決壊した。

「わっ、わっ、わかるわけねえっ」

 鳩と獄寺が同一人物だということに勘づいているようだが、今日の昼間にあったことも、獄寺の心の内も、クロームが知るはずもないのに。

「・・・・・・・・・辛い恋してる。」

 その言葉がすんなり腑に落ちてしまうのが嫌すぎて、余計に泣ける、コンチクショウと思っていたら。

「ハルもっ、ハルもっ、わかりますうっ。」

 がばりっ。今度は正面からハルが抱きついてきた。

「ハルのことなんかツナさんの眼中にないことなんて、わかってるんです。でも、いいんです。ハルがツナさんを好きなんだから!」

 本泣きはじめるハルに唖然として獄寺は顔を上げた。あっけに取られているうちに涙は止まってしまった。

「だけど、辛いんですっ!片想いって、一方通行って!ツナさんとラブラブになりたいんですっ!」

 正味一分も泣けてねえと釈然としないでいる獄寺を、ハルがぎゅうぎゅうと抱きしめてくる。ハルに対抗する気でもあるのか、背後のクロームも腕に力を込めてくる。

「ぐっ。はっ離せっ」

 前後から絡みつかれて藻掻く獄寺を助けるべく、花と京子が泣きじゃくるハルを宥めにかかる。

 ようやくハルが剥がされると、クロームも気が済んだのか抱擁を解いた。

「ふー。助かった。」

 獄寺はなんだか可笑しくなって、どかっと仰向けに倒れた。手足をがばっと広げて大の字になる。事態は何も変わらないけれど、確かに気が楽になっている。

 すると、それまで沈黙を守ってきたビアンキが、ぬうっと顔を出した。存在自体忘れていたが、顔にシート・マスクを貼りつけて、一人優雅にマニキュアとペディキュアにトップ・コートを施していた。

「だめね。色気が全然足りてないわ。だからあなたの愛しい人はあなたをお持ち帰りしてくれなかったのよ。」

 そう言いながらマスクを剥がしたものだから、獄寺はひとたまりもない。ビアンキの問題発言に反論する暇もなく遠のいていく意識の片隅で、少女達がきゃあきゃあ沸き立つのが聞こえた。

「お、お持ち帰りなんて、ハレンチですぅ!」

 さっきまで泣いていたハルはもう通常運転だ。

「え、マジで!?そんなこと悩んでたんすか?この子?」

 花は師を仰ぐようにビアンキに問う。

「・・・・・・・・・・・・お休みなさい。嵐の人。」

 クロームはこっそりそう言って、気絶した獄寺に布団を掛けてやった。

 あくる朝。獄寺はいつもつけている大切な指輪が見つからなくて探し回るという、焦燥感に満ち満ちた悪夢にうなされて目覚めると、雲雀がいた。

「わっ。」

 昨夜の記憶の中の、ビアンキの顔があった位置から見下ろしてくる。

「なんでここに?!」

 ハルの部屋にいるはずがない、いるべきでない存在だった。雲雀の側にいたくなくて、、わざわざ女の子姿になってまで逃がれてきたというのに。

「あ。起きちゃいましたか。」

 傍らにはハルもいた。獄寺はなるべく雲雀から遠ざかるように、べッドの奥に寄りつつ身を起こした。ハルの外、少女達の姿はない。壁に掛かる大きなビスケット形の時計は、午前十時を指している。まるまる半日眠っていたらしい。

「姉貴達は?」

 獄寺は雲雀を見ないようにしてハルに問う。淡いながらも恋の自覚はあって、正面から雲雀の目を見られなかった。

「京子ちゃん達はちょっと前ですけど、ビアンキさんは昨夜のうちにイタリアに発ちましたよ。パパンから変な電話があったから、直接会って話をしなくちゃって。なんでも、日本から、パパンのお嬢さんと結婚しましたって、日系人から電報があったんだそうです。」

 獄寺は思わず雲雀に向き直った。

「まさか、お前、うちのオヤジに!」

「うん。報告しておいたよ。婿養子に入ってやってもいいよって。君の実家、財産家だしね。」

 雲雀は涼しい顔でそうのたまう。

「ハッ。ハッ。」

 獄寺は笑えてきた。乾いた笑いだ。オヤジだって、男だと信じてきた息子の結婚相手が、婿養子志望とは思うまい。

「フン。そういうことかよ。お前、金が大好きだもんなあ。」

 恋していると気づいた相手が、金のために自分と結婚したと言う。オレって、父親の愛人だった母親よりも男運が無いんじゃなかろうか。げっ。オレ男のくせにナチュラルに男運なんて単語使ってやがる。

「お前なんか、お前なんか、知らねえっ。婚約してたって、結婚したって、愛してないし大嫌いだっ」

 獄寺がわめき散らすと、やっと話が見えてきたハルが慌てだした。

「け、結婚?!ダメです!無しです!ナッシングです!鳩ちゃん、まだ中学生です!清いお付き合いから始めて下さい!」

 雲雀はハルになど耳を貸さない。

「好きだよ。お金。知ってる?お金があれば何だって買える。」

 雲雀は片膝をベッドに乗り上げた。

「ヒトの気持ち以外はね。」

 ぐんっと急接近した雲雀を避けると、獄寺の背は壁にぶつかった。

「それにしても、君って本当に自覚ないよね。僕のオモチャだっていう。」

 背筋をぴったり壁につけて、獄寺は雲雀を睨んだ。雲雀は楽しそうな、それでも少し悲しそうな笑みを浮かべて、獄寺に手を伸ばしてくる。

「失くしちゃだめじゃない。」

 雲雀は獄寺の左手を取ると薬指にシルバーの指輪をはめた。

 あっという間に元通り、馴染んだ男の姿に戻った獄寺はパチクリと瞬きした。大事な指輪がないことに、たった今まで気づいてさえいなかった。

「これを失くしたら男の子に戻れないよ。そうしたら、獄寺隼人が女の子になったって沢田綱吉にも言わざるをえなくなるでしょ。秘密が公然のものになってしまったら、君が僕のオモチャである資格も失くなる。」

「ヒトのこと、オモチャ扱いするんじゃねえ。」

 獄寺はムッとして眉間に皺を寄せる。

 自分の部屋なのに、ハルは自分だけが場違いな気がしてきた。むずがゆい。あれれ。まさか。このヒト達って、もしかして。

「焦ったよ。昨夜、君が倒れたって聞いて急いで行ったら、どの指にもこれをしてないんだから。三浦ハルも知らないって言うし。仕方ないから、君をここに置いた後、一晩中ずっと探しまわってた。」

「どこにあった?」

「パーカーのポケット。」

「あ。」

 風呂に入る前に、かき上げた髪が絡んだので指輪をはずしたことを、獄寺はようやく思い出した。

「悪い。」

 獄寺は雲雀がうっすら疲労を滲ませていることに気づいた。

「・・・随分必死に探したみたいだな。ヒトのモンなのに。」

 獄寺に意外そうに言われ、雲雀は小さく嘆息した。

「僕のことなんて君の眼中にないことぐらいわかってるよ。でも、いいんだ。僕が君をオモチャだと思ってるんだから。」

「だからオモチャじゃねえって言ってるだろ!」

 獄寺はオモチャ呼ばわりにばかり気を取られているが、ハルはぽっと赤面する。もしかしてもしなくても。

「あわわわわ。」

 このヒト達って、両片想い。

 無意識に出た変な声に、雲雀と獄寺がハルに注目する。ハルはパタパタ手のひらで顔を扇ぎつつ、話を変えた。

「そうそう。雲雀さん、獄寺さんに相談したいことがあるんですよね?」

 雲雀はこくんと頷いた。

「獄寺隼人、僕はどっちの君と結婚したことにしようか?」

「はあ?」

 雲雀の問が意味不明で、獄寺は首を傾げた。

「男の子の君と、女の子の君、僕が結婚したのはどっちってことにしたらいい?結婚しました報告のハガキ刷りたいからさっさと決めてよ。」

「お前、本気の本気で、オレと結婚したって公表する気か?!」

 獄寺は目を剥いた。

「ばっ、バカヤロー!誰にも言うなっ!何が楽しくてそんなカミングアウトをしなきゃなんねえんだよっ。」

「結婚祝いをもらうのが楽しくて。」

 雲雀は胸を張って言うのに、獄寺はがくんと肩を落とした。

「・・・・・守銭奴め。」

 並盛町中の各方面に、嬉々としてご祝儀を徴収しに行く雲雀の姿が目に浮かぶ。

「心配しないで。君が女の子になれることは秘密にしておくよ。約束だからね。」

「公表するなって言ったら?」

「そうしたら残念だけど、獄寺隼人は本当は女の子なのかもしれないって、沢田綱吉に明かすしかないな。」

 明白な脅迫だ。獄寺はぐうの音も出せない。

「じゃあ、じゃあ、男のオレと結婚したことにしろっ。ヤーイ、ホモめ!」

 やけくそ気味に言う。

「ギャー!ダメですそんなこと!男同士だなんてデンジェラスです!」

 話の展開についていけずに空気になりかかっていたハルが追いついた。

「別に構わないよ。僕の配偶者が男だろうと女だろうと、ご祝儀の額を変える人はいない。」

「まあ、確かにな。・・・・・ご祝儀半分オレに寄越せ。」

「いいよ。僕と結婚したことを、祝われたい気があるならね。」

「イラナイ。」

 獄寺は雲雀の条件を切り捨てた。ハルの目には雲雀がわずかに表情を曇らせたように見えた。

「獄寺さん。鳩さんが結婚したことにして下さい。それで中学生らしい清いお付き合いから始めて下さい!」

 ハルとしては助け船のつもりで言ったのだが。

「部外者が口挟まないでよ。僕達の問題なんだから。」

「そうだ。うるさい。ハルは黙ってろ。」

 二人共、わかってくれはしなかったから、ハルは面倒くさくなってしまった。もう。鈍すぎるです、この二人。

「わかりましたですよ。勝手にして下さい。」

 ぷん。相手しきれない。一生、相手は自分を好きじゃないって勘違いしてればいいんです。

 ハルがむくれて部屋の端の椅子に移動する間、獄寺は必死に計算していた。

「オレが結婚したことにすれば、鳩の名は出てこないから秘密を隠し通すには都合がいい。だけど、オレまで同性婚って後ろ指さされたら、十代目の右腕として相応しくねえな鳩が結婚したことにすれば、オレの妹が雲雀と結婚したってことだ。だから、オレとは何の関係もねえ。うん。そうしよう。雲雀、お前が結婚したのは鳩だ。」

「ふうん。そう。」

 ぴりぴり。少し離れていたって、ハルには雲雀の怒りを感じられるし、その理由だってわかってる。

 ハルだって、もしもツナさんから関係無いなんて言われたら傷ついちゃいます。でも、何も言いませんよ。ハルは外野ですもん。

「それなら、結婚祝いをちょうだい。」

「ぶっ。」

 獄寺が吹き出す。

「オレからも徴収する気か!」

「兄だったら、妹の結婚祝いするのは当然でしょ。」

「やらねえよ!オレがお前と結婚させられた本人じゃねえかよ。」

 ハラハラと見守っていたハルは胸を撫で下ろす。雲雀の気配が軟化している。

「いいよ。」

 雲雀は請求を撤回した。ほんのり笑みさえ浮かべて。

 パンパン。

 ハルが手を叩いた。一件落着したのなら帰って欲しい。自分の部屋なのに、男二人に居着かれていたら着替えもできない。

「お話がお済みでしたら、お引き取り下さいませ。」

 ハルは慇懃無礼に言うとドアを開いた。

 指輪を届け、相談も終え、用事はすべて片付いた。雲雀は怒りもせずに立ち上がる。

「じゃあ。またね。」

「ああ。」

 獄寺はキョロキョロ目を泳がせていた。獄寺は昨夜からハルのパジャマを着たままだった。

 ちなみに、並盛湯で気絶した時に服を着けさせた時も、この部屋でパジャマに着せ替えた時も、ハル達女子で数人がかり。

「服はこちらですよ。」

 ハルが机の上を指し示したら、雲雀はすたすた戻ってきた。獄寺の服を手に取って、何をするかと思いきや獄寺に手渡した。

「着替えなよ。待ってる。」

 ぺちん。ハルは雲雀の後ろ頭をどついた。

 ぱふん。同時に獄寺も枕を雲雀に叩きつけた。

「ハルの部屋でエッチなことは許しません!」

「帰れ!待ってるな!出てけ!」

 二発目は喰らうまいと、雲雀はぴょんと横に飛び退いた。すると、ハルの平手の指先は獄寺の頬を掠り、獄寺の枕攻撃はハルの顔に直撃する。

「うわっ」

「きゃっ」

 軽微ながらもダメージを受けたハルと獄寺は、かえって攻撃力を上げた。怒りに目をらんらんとさせ、ぺちんぺちん、ぱふんぱふん、雲雀を部屋から押し出してしまった。

 カチャリ。ハルはドアをロックする。

「もう大丈夫です。さあ、獄寺さん、着替えて下さい。」

「ちょっと待て。お前も出てけ。」

 獄寺はドアをちょこっと開けて、ハルもポイと追い出した。そしてカチャリ。

「えっ?!昨日はお風呂もご一緒したのに!」

 ハルはドア越しに抗議する。

「鳩ちゃんの裸なんて、もう見慣れてますですよ!」

「オレは女に着替えを見られたくねえっ。」

 言われてみれば、私立の女子校に通うハルは同年代の男子の着替えなんか見たことはない。

 口ごもってしまったハルに雲雀が声をかけた。

「君の部屋って、隠しカメラとかないの?」

「ありませんですよ、そんなモノ!」

「そう。それなら帰る。」

 やはり、待っているというのは獄寺の裸体見たさの口実だった。あまりにも堂々たるオープンスケベぶりにハルはクラクラ目眩がする。

「ちょっと待て、雲雀。話がある。」

 ドア越しに獄寺の声が響いて、雲雀は足を止めた。

「聞けよ。大事なことはさっきみたいにオレに相談してから決めろ。お前一人で勝手に進めるんじゃねえ。」

 雲雀の顔が見えないからこそ、獄寺はくすぶっていた思いを伝えることができた。

「うん。わかった。次に君と結婚する時は予め言うことにするよ。」

「次があってたまるか!」

 獄寺の声を背に、雲雀はふふんと笑って去っていく。

 鳩ちゃんも、獄寺さんも、大変な人と結婚しちゃったみたいです。一生苦労するかもしれないですねえ。

 ハルは部外者らしく他人事として考える。

 でもまあ、いいです。見ているだけなら楽しいですし。

 

 



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